バランスは悪くてもいい。中庸は難しい。
偏っていてもよいという話。
中庸はとても難しく、物事は万物が流転する如くいちように同じところに同じようにとどまることはないので、
ひとりの人間が持っている要素が宇宙から見て一色だということは十分にあり得る。その「時」はという限定があるものの。
細胞だって約七年ですべて入れ替わる人間が、果たして七年前と同じ人間であるといえるだろうか?
偏っていてもいい、いい、というよりも、偏り変化しながら生きているという事実がそこにあるだけで、それがいいとかわるいとかいうことではないのである。
成功者の占いは当たっている。意思をもって検証し選択して生きる人間は宇宙の真理やサイクルとともにある。本人が占いなど意識していないパターンも多い。
世界にごまんとあるどの占いも当たらないという人は、自分の人生を生きていない。依存や支配によって人生を浪費しむなしく消える。
悪く当たることもある。素質を活かすことに力を注いだほうがよい。
私の命式には火、土が多く水がない。
が、水の神様である竜神がついている。そういうこともある。
ただある時期性格が当てはまったこの命式だけしか信じなければ水を求めたかもしれないが、求めずとももともと持っている。人に聞かなければ、わからなかったことである。が、アンテナを張っていればいつか拾える機会が訪れる。
いくつもの占いがあり、だからあてにならないのではない。
そのくらい、人間というのは複雑にできているということなのだと、私は思う。
このような複雑なものどもが、偏らないなど考えられないと思うのだ。