螺旋転がるクラインの壺、波紋数えるフィボナッチ

相場の話。絵と字。自身が罹患したIgG4関連疾患と日常について記録。

あのときも何もなかった。いまよりももっと。

え~。

白龍が現れて言っていた、40代で病気と富を得るで私はいくつもの投資にお金を注いで、だめになったものもあれば利になったものもある・・・と、あるプロジェクトに全力で投資し、それが横領からの凍結・の状態で、、

ただ、経済的にはすっからかんとなりましたがこのプロジェクトに参加しなかったら出会うことはなかったギフトのような出会いがあり、関西の名のある白龍さまともつながりました。

ちょっと笑えない金額を手放してしまった状態ですが、逆にそれ以上の金額を積んでも得られないものが出会い、ご縁であることを思うとこれが「富」と言えるのかもしれませんが、

家族からしたらそんなことは知ったこっちゃない話なわけで・・・。

また一から経済活動を積み重ねなければなりません。

 

私は難病とのお付き合いの兼ね合いで給料をもらえる仕事は半分にしてしまったところでした。不労所得があるからいいやとも思いました。でも逆に手放してしまってゼロの状態です。

白龍は「お金はどうでもいい」とのほほんとしていますが、天上のものはそれでいいかもしれませんが地上の私は収入がなければ生きていけませんので、なにか働かなければなりません。

驕って辞めていた為替取引を再開しました。

また、労働収入です。

まあ、仕方ありません。

 

また、お金につながるかは別として昔やっていた絵を作る活動もし始めました。

 

いくつかのFX口座の中には全部合算で、なけなしの50万(円換算)のみ。

ここからまたスタートです。

とりあえず、XMに25000円あったんでそれを増やすところからです。

(うち6000円はクレジット)

半月で53000円まで増えました。ほんとコツコツですね。

 

小遣いが一切ないのでネットショップを作って、自作のTシャツが4枚と、スマホリングが一つ売れました。5000円にもならないんですが、これがうれしかったです。

子供のころの夢はもともとアーティストになりたかったので・・・嬉しかったです。

そうそう。お小遣いがないんでカフェすらやめて缶コーヒーを飲んでいたら、若かったころを思い出しました。

22歳か、23歳のころ、同じく口座に40万円くらいしかないのに「びょうき」をもらい、「職業」「収入」「家」「恋人」を失い、、、

なんとかアパートを借りて当時20万円くらいしたパソコンを買うと、全財産が20万円を切って

その後文字通り文無しになって、電気、ガスが止まりそして半年後に水道が止まりました。その時のことを思い出したのです。

家族もなにもなかったけど希望がありました。私は若かった。

 

今は、家族があるけど、若さはあの頃よりかない、そして、あのころ「完治」があった病気は「難病」となり一生お付き合いをするものとなり・・・

 

でも希望があります。性格なのかもしれません。

タイトルと真逆のことを言っているようですが・・・

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このブログも放置してましたが、今後は気が向いたら日常を書いていこうと思います。